歴史討論室
邪馬台国概論 - 橘
2024/02/10 (Sat) 09:15:58
「自女王国以北其戸数道里可得略載」投馬国、不彌国、奴国、伊都国、末ろ国などは女王国ではない。女王国は邪馬台国が正しいと思う。
このことから邪馬台国の東が海とわかる。
奴国(福岡)から東に行って海岸に出たらそこが不彌国。ここから海を南に行くと投馬国。ここからさらに南に行くと邪馬台国。邪馬台国は、九州の東海岸にあることが解る。
邪馬台国の場所は、九州の東海岸以外の説は誤りと言える。
2つのことからが一致してる
邪馬台国は、九州の東海岸沿いだ。投馬国から邪馬台国へは、「南水行10日陸行一月」。陸行の起点国名、方位が書かれてない。故に、投馬国から南に水行すれば10日、南に陸行すれば一月とわかる。南に水行、南に陸行出来るのは海岸線が南北となっていると考えられる。九州の東海岸を現在の地図でみると延岡市から宮崎市の日南海岸が海岸線が南北になっている。地図からこの距離を測ると75kmと解る。水行10日は75km。また陸行一月も75kmと解る。そして邪馬台国は、宮崎市と解る。
不彌国から南に水行30日で邪馬台国。キロでは、南に225km。宮崎市でだいたい合う。
岩波文庫によると、邪馬台国の1番目の官の伊支馬は、注で伊古麻、生駒、活目か、とある。生目ではないか?宮崎市に生目古墳群がある。
生目古墳群の丘の下の資料館がある。その展示パネルの1つ。瀬戸内海の岡山などからや四国、北九州の土器がこの古墳からでてるとか。古代宮崎が中心だったことが解る。
Re: 邪馬台国概論 - 橘
2024/02/10 (Sat) 09:41:41
グーグルで鬼の岩屋古墳と検索するといくつも出てきた。もっとも、鬼の岩屋古墳 西都原で検索すれば1つです。
Re: 邪馬台国概論 - 橘
2024/02/10 (Sat) 09:25:19
天孫降臨の話は事実でない事はいうまでもない。また時期も大昔からという意味だ。しかし舞台が宮崎市になった理由は邪馬台国が関係してるのではないか。神武天皇の東遷は作り話と思うが、卑弥呼と近畿政権は血がつながっていて、近畿政権は大昔から日本の唯一の王統として権威つけるためのに神武天皇東遷の話を作ったと考えている。途中で北部九州によるのは奴国が王として金印をもらっているのでそれとも血がつながっているといいたいのだろう。日本側の書物からも宮崎市説で矛盾は起きない。
奴国の金印と卑弥呼の金印が逆になっている。これが日本書紀編纂者の言いたいことだ。つまり、日本書紀はデタラメだと伝えたいのだ。
卑弥呼の住居跡は、どこか。私は、宮崎市の宮崎神宮と考えている。決めてに欠けるが有力な案だと考えている。