歴史討論室
古事記・日本書紀 - 橘
2022/08/25 (Thu) 11:54:36
記紀は歴史書か?
Re: 古事記・日本書紀 - 橘
2023/04/06 (Thu) 23:07:12
卑弥呼は称号という人がいるが、考えなくても
間違いだと思う。女王の名前に称号など書くわけはない。
女王女王などと書くわけがない。卑弥呼は個人名としていい。
証拠はトヨだ。卑弥呼は称号ならトヨでなく卑弥呼と書く。
卑弥呼とトヨは同じように解釈しないといけない。
卑弥呼は称号でトヨは個人名などと1回ごとに解釈を変えるのは
学問ではない。
卑弥呼は称号とする根拠は日本書紀からだと思うがそんなに
日本書紀を盲信していいのだろうか。1300年も常識としてると
染みついてしまうようだ。
Re: 古事記・日本書紀 - 滑安房守
2023/01/04 (Wed) 19:14:32
橘さん
>*男弟との記事はありますが、男王との記事は無かったように思います。
>原文を自分に都合よく変えて得た結論に何か意味あるのでしょうか?
お教え有難うございます。
仰るとおりです。
なんの意味もありません。
思い付いた事柄を、並べたに過ぎません。
安房守の早やとちりで、男王との文言は有りません。
正確な表現では有りませんでした。
次のように解釈するのが正しいと思います。
「有男弟佐治國」直接卑弥呼が國を治めた可能性を否定できません。
「男弟は国を治めるのを佐けた」とあるのが事実です。
そして、「唯有男子一人、給飲食、傳辭出入」にある一人の男子が男弟であるとは有りません。
卑弥呼の言う事を、男弟などに伝えるだけの役割の男子が一名いたのかも知れません。
Re: 古事記・日本書紀 - 橘
2023/01/04 (Wed) 15:23:07
> >*日本書紀に推古天皇以前に日食の記事がないのです。
>>解りますか?
> 判りません。
>>*何故、推古天皇以前の日食は写し取らなかったのですか?
> 判りません。
*間違ってるというのはいいのですが、
どこがどう間違ってるか、根拠を
示してもらわないと。
間違ってます、理由も根拠もないですでは、、、、
> 卑弥呼についての、暗黙的な記事は有っても、卑弥呼は誰であるかなどを推定できる>ような直接的な記事が見出せないのは何故でしょうか?
*だから歴史書でなく物語と判断してるのです。
> >>卑弥呼は女王と見られていました。
>>>男弟云々の記事は、男弟が、天の下を治める王であって、卑弥呼は祭祀王であった>>>可能性もあります。
>>*どこの記事にそう書いてありましたか。
> 安房守が、その様に捉えた根拠を示しておりませんでした。
*男弟との記事はありますが、男王との記事は無かったように思います。
原文を自分に都合よく変えて得た結論に何か意味あるのでしょうか?
Re: 古事記・日本書紀 - 滑安房守
2023/01/04 (Wed) 11:20:34
橘さん
>*日本書紀に推古天皇以前に日食の記事がないのです。
>解りますか?
判りません。
>*何故、推古天皇以前の日食は写し取らなかったのですか?
判りません。
卑弥呼についての、暗黙的な記事は有っても、卑弥呼は誰であるかなどを推定できるような直接的な記事が見出せないのは何故でしょうか?
>>卑弥呼は女王と見られていました。
>>男弟云々の記事は、男弟が、天の下を治める王であって、卑弥呼は祭祀王であった可能性もあります。
>*どこの記事にそう書いてありましたか。
安房守が、その様に捉えた根拠を示しておりませんでした。
申し訳ありませんでした、
「名曰卑彌呼。事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國。自爲王以來、少有見者、以婢千人自侍、唯有男子一人、給飲食、傳辭出入。」
この部分から、その様に考えました。
Re: 古事記・日本書紀 - 橘
2022/08/30 (Tue) 23:17:45
>創作とまでは言えない気が安房守はします。
*どのように感じるかは自由です。
>古事記の元となる書、あるいは記憶に日食について何もなかった。
>年、月、日が判らなかったので、書くことを躊躇った可能性もある様に思います。
*日本書紀に推古天皇以前に日食の記事がないのです。
解りますか?
>日本書紀の日食の記録は、中國で観測された日食の記録を、写し取っただけの可能性も否定仕切れない気がします。
*何故、推古天皇以前の日食は写し取らなかったのですか?
>卑弥呼は女王と見られていました。
>男弟云々の記事は、男弟が、天の下を治める王であって、卑弥呼は祭祀王であった可能性もあります。
*どこの記事にそう書いてありましたか。
>同様に推古天皇が祭祀王であったことも否めない様に思えます。
*祭祀王と隋書のどこに書かれてましたか?
>ですから、他に男性の、天の下を治める王が居て、その王が、現代人が捉える意味での天皇であったのかも知れません。
*仮定の上に仮定をかさねてませんか?
隋書を見るかぎり王の妻とある。王は男。祭祀王がいたら隋書に書かれるはず。
国のtopですから省略しない。
想像することは自由ですからどう考えてもかまいませんが。
Re: 古事記・日本書紀 - 滑安房守
2022/08/30 (Tue) 10:53:14
橘様
日食についてのお教え有難うございます。
>日食の記事があるのは記録だ。事実である。無いのは創作ということだ。
創作とまでは言えない気が安房守はします。
古事記の元となる書、あるいは記憶に日食について何もなかった。
年、月、日が判らなかったので、書くことを躊躇った可能性もある様に思います。
日本書紀の日食の記録は、中國で観測された日食の記録を、写し取っただけの可能性も否定仕切れない気がします。
>推古天皇は作られた天皇である。
卑弥呼は女王と見られていました。
男弟云々の記事は、男弟が、天の下を治める王であって、卑弥呼は祭祀王であった可能性もあります。
同様に推古天皇が祭祀王であったことも否めない様に思えます。
ですから、他に男性の、天の下を治める王が居て、その王が、現代人が捉える意味での天皇であったのかも知れません。
と、安房守は見ることも可能だなと感じました。
Re: 古事記・日本書紀 - 橘
2022/08/25 (Thu) 11:58:14
表 日食の記事
1.推古天皇36年3月2日(628年4月10日) 食有
2.舒明天皇8年1月1日(636年2月12日) 食無
3.舒明天皇9年3月2日(637年4月1日) 食有
4.天武天皇9年11月1日(680年11月27日) 食有
5.天武天皇10年10月1日(681年11月16日)食有
6.持統天皇5年10月1日(691年10月27日) 食無
7.持統天皇7年3月1日(693年4月11日) 食無
8.持統天皇7年9月1日(693年10月5日) 食有
9.持統天皇8年3月1日(694年3月31日) 食無
10.持統天皇8年9月1日(694年9月25日) 食無
11.持統天皇10年7月1日(696年8月4日) 食無
Re: 古事記・日本書紀 - 橘
2022/08/25 (Thu) 11:56:05
古事記は、712年、日本書紀は720年に作られた。
日本書紀は41代持統天皇まで書かれ、古事記は33代推古天皇まで。
同じ頃作られたのに古事記は何故、33代で終わったのか?
古事記と日本書紀は同じ様な事が書かれてる。日本書紀があれば古事記は
要らないのでは?何故、古事記があるのか?
古事記が33代で終わった理由はどうすれば調べられるか?
同時代に出来た日本書紀の33代までの記事と34代以後の
記事の違いを調べればいい。
それは日食の記事だ。推古天皇の晩年日食が起きそれに合わせるように
崩御される。この記事をぬいて34代から41代までに10個の
日食の記事がある。しかし、推古天皇以前には日食の記事は1つもない。
古事記は、推古天皇の崩御まではかかれてない。
つまり古事記に記述されてる範囲には1つも日食の記事がない。
日食の記事があるのは記録だ。事実である。無いのは創作ということだ。
つまり33代までは架空の天皇だということである。
それを伝えるために古事記が作られたと考えている。。
推古天皇は600年ごろの天皇。女帝である。この頃の
中国の書物に隋書がある。隋書には、王の妻とある。
後宮には女性がいる。王は明らかに男である。
女帝ではない。推古天皇は作られた天皇である